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幼少の頃のこと

私は、万葉集で柿本人麻呂に詠まれたほど風光明媚な土地、和歌の浦で生まれました。風光明媚といっても、実際住んでいる者にはそんなに感動も無く、大きくなってからいろんなことがわかって「凄いトコにすんでるんやな」と思った次第です。

私の記憶にはありませんが生まれる前日、第2室戸台風が紀伊半島に上陸、昔のことあまり整備が整っていなかった海岸の堤防を大波が越え、海のすぐ近くにある実家は床下浸水になったらしいです。大きいおなかを抱えたおかんは、道路を怒涛のごとく流れる海水を乗り越えて産院まで行き、午前6時に私を無事に出産したと言うことでした。

おとんは割と厳格なほうで、それが後々幸いすることになります。意識し始めたのは小学校低学年でしたが、私は左利きです。それをおとんが嫌がって、鉛筆と箸は無理やり右手で持たされる訓練をされたようで、現在も箸とペンは右のほうが使いやすいです。しかし幼稚園までは目が届かなかったようで、園内はいつもハサミで紙を切るとき、どうしても私だけギザギザにしか切れませんでした。当時はなぜだか全くわかりませんでしたが、なんとなく「まあええか」と思っていました。

小学校に入っても、運動や紙きりは下手くそだったのですが本を読むことが大好きで、入学式のとき買ってもらった「小学館大百科事典全12巻」を1年生で読破、2年で「エンサイクロペディア百科事典全24巻」を読破します。まあ小学校低学年のことですから、読めない漢字は飛ばすんですが、全て読んで行くとその漢字の意味が理解できてきます。
しかし当時は表で走り回ることが当たり前の遊びだったので、周りの同じ年くらいの人たちは、みんな野球に熱中し始めました。実はここにもおとんが介入してきて、グローブは右手用しか買ってもらえず、バッターボックスも右用(左側)にしか入らせてもらえませんでした。当然のことですが、めちゃくちゃ下手くそで、そのうちおとんが見に来なくなると、左手のグローブで取ったボールを一旦右手に持ち替え、グローブを右脇に挟んで左手で投げるのが定番となりましたが、もともと運動能力は高いほうじゃないので、もたもたした上に持ち替えていたら時間がかかってしまいます。おかげでレギュラーには一度もなることなく、小学校の6年間を終わりました。

中学に入ると、左利きでもできて球技ではないスポーツを、と言うことで、当時50数キロの軽量級で柔道部に入部しました。しかしここでも諸先輩方と同い年のバリバリの柔道家が「お前は経験が少ないのだから右でやりなさい」と言うことになり、やはりどうしてもへなちょこ柔道にしかなりませんでした。まあ基礎体力を鍛えるでもなく、何もしなかったのが最大の原因ですけどね。
でも少々格闘技(当時はこんな熟語はありませんでしたが)をかじったのと、またある程度ですがクラブで鍛えたこともあってケンカには自信がつき、これが中学2年生ごろからの、人生の転落への始まりだったのです。

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